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九州アスリート食品カレンダー2015年6月


最近の世の中は、「楽しめているか」というのを、凄く意識している気がする(アスリートなど、テレビに出る人がインタビューなどでよく発言しているので)。

しかしこれって、意識するものなのか?と考えてしまう。

楽しい、というのは意識せずに、自然と感じるものなのではないだろうか、と。だって、「楽しもう!」ならいいが「楽しまなくちゃ!」になったら、それこそ、楽しくならない気がするし。

なので、意識しなくて良いのではないか、と。

もし、意識するとしたら、一発勝負の世界やヒリヒリするようなやり取りをする場面でだろう。例えば、4年の血のにじむような努力を重ねて、手にしたオリンピックの舞台。もう、こーなったら「楽しんでやる♪」という場合は、意識しても良い気がする。この、もともと楽しむのが難しい場面の場合は、「楽しもう!」と意識するのは、良いと思う。

それが、日々の仕事や日々のお付き合い、家庭、などでも「楽しめているか」を考えると、なんか混乱する気がする。だって、生きるって凄く楽しいことだけど、大変なこともあるから。最近では、ニューヨークヤンキースから広島東洋カープに復帰した6月カレンダー 投手(素晴らしすぎる実績と、素晴らしすぎる行動でファン からの信頼が厚い)。彼は、「野球を楽しめたことがない」と公言しています。(それだけの意識で野球に取り組んでいるのだろう。ただ、ある意味 誰よりも楽しんでいるのかも)

そこで思うのです。「楽しめているか」なんかどうでもよく、目的に対してシンプルになれているかどうか、なのではないかな、と。

野球をやるのであれば、ファンを喜ばせられているか。勝利できるかどうか、など。そのように、自己中心的だけではない(人を幸せにできるかという)「目的」を意識していれば、いいのではないか。それであれば、大変なことも、結果、楽しくなってくるのだと思う。

そんな考えを表したのが、今月の詩でした。

楽しめていないからダメ、なんて考えずに目的にシンプルに進みましょー。それが、やっぱり最高なんだと思う!



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